「私の東京銀行支店長並びに会議所会頭時代」

 

(1)私は1987年5月から1991年6月まで東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)のパリ支店長でありましたが、このうち最初の1年間(1987-1988)を会議所会頭、後の3年間(1988-1991)副会頭をさせて頂いた。
会議所の会頭は1963年の設立から私の代までの10代(25年間)は東京銀行の歴代支店長が就任するという栄に浴してきた。多分、パリ進出が古く(1962年支店開設)、為替専門銀行として中立的立場にあったからだと思われる。
従って、私も着任と同時に会頭に就任致しましたが、近隣諸国の日本商工会議所の例をみても一社が独占的に会頭をしている例がなく、私も銀行の仕事に専念したい気持もあったので、輪番制をご提案してそれが受け入れられた。東京銀行、三菱商事、三井物産(私としてはメーカー1社を加えたかったが、皆さんの賛同を得る先が見つからなかった)の3社の輪番制になり、その後13代(15年間)この体制が続いた。東京銀行諸先輩の方々や一部の取引先の方々から、何で自ら特権(?)を放棄するのかと非難されましたが、会議所の活性化の意味からも、早晩一社独占など変更されたでしょう。

 

(2)当時の東京銀行パリ支店の最大の経営課題は合理化と収益性の改善であった。この為の一手段として米銀を初めとする外国銀行の例も参考にしつつ、カウンター業務の合理化、各種手数料の引き上げ等も必要に迫られて実施し、当時の在留邦人の方々からご不満やご批判を受けました。
当時のサンケイ新聞の特派員の方が「東銀商法愛の鞭」と皮肉交じりの「囲み記事」を書かれ、パリ在留邦人も少しはフランス語を勉強して、日本人行員がいる東京銀行の窓口だけでなく、フランスの地元銀行に口座を開設したらどうですかというのが新しい東銀の商法らしいと述べられました。昔話の一つとして記しておきます。

 

(3)私が支店長に就任した1987年に支店の形でパリに進出していた日本の銀行は東京銀行に加えて富士銀行と日本興業銀行の3行でした。
その後の4年間で私の記憶が正しければ、三菱銀行、第一勧業銀行、さくら銀行、住友銀行、三和銀行、日本長期信用銀行、東海銀行の7行が加わり10行体制になりました。
その後、銀行間の合併や撤退もあり、現在の3行体制に戻ったのも時代の移り変わりとして、興味深いものがあります。

 

(4)会議所も当初の日系企業の親睦団体的存在から、その後の会頭のご尽力によりフランス財界、企業とも交流のある真の意味での「在仏日本商工会議所」に発展されていることはご同慶の至りです。



歴代会頭一覧


三宅 浩之 中島 格志 鶴岡 正三
河原畑 敏幸 石塚 徹 小田 義明
後藤 豊 片川 喜代治 北原 隆
阿波村 稔 中川 正輝 大山 昇
吉田 哲史 中川 正輝 猪瀬 威雄
左舘 晃 清水 信行 稲森 一彦
白石 義治 北野 健 佐藤 幸彦
萩原 薫 佐藤 洋夫 渡辺 昌俊
山田 史朗 小暮 治 山田 信彦
舟木 凌 江部 敬三郎 広田 弘雄

 

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