CCIJF パソコン寄付の決断


早いもので商工会議所が50周年を迎えようとしている。
日本とフランスの長い歴史を逆説的に思えば、なんとこの組織の若いことかと驚くばかりである。わたしが会頭を勤めたときは、ミレニアムを控えた1998年は、世界中で、なにかが起こるのではないかという不安と期待感が高い時期だった。

活動のお膳立てはすべて事務局でやるからお飾りでいいので、お願いしますと頼まれて気軽に引き受けたものの会員同士の親睦だけでなく、パリの商工会議所との関係強化、税制や社会保障制度の変更など、加盟企業にもさまざまな対応が要求される時代だった。
だが、会議所の活動としては、「日本年」などの大きなイベントを終えたばかりで端境期のような静かなときでもあった。シャンゼリゼ通りの事務所での定期会合には、著名な方やお美しい方が理事で参加して、晴れやかな気持ちになったことも事実である。
企業に勤めてそれなりの経験は積んではいたが、公的なお金を催事、イベント、新企画に割り当てる仕事は、それなりに気を使うことであった。幸いにも、当時の理事は非常にすぐれた方々で、無事に任期を全うできたことに改めて深く感謝したい。

任期中の思い出として、記憶にあるのは、サンカンタンに引越しをした日本人学校に対するものである。パソコンが世界的にも急速に普及している時代環境の中で、フランスで勉学する子供たちにも、日本の学校と少なくとも同じレベルの教育資材の装備が求められていた。その中で、学校担当理事の山田、須藤理事の企画、立案で日本人学校での教室開設もためのパソコンを25台(?)寄付することとした。あれから10数年を経て思えば、パソコンをその程度でと思うかも知れない。しかし、当時のパソコンは価格も高く、どうせ宝の持ち腐れになるのではないかと危惧する意見もあった。会員企業から徴収した公金を使う上で、悩みはしたが会議所の財政面でも、予定の費用は間違いなく拠出できるとの確答を得て、実施に踏み切った。あのころの子供たちも、すでに社会人に育っているだろう。教育は、精神論だけでは向上しない。時代にマッチした教師、環境整備、資材提供などがそろって初めて時代を任せられる人材が生まれると思う。その意味では、このお金が役に立ったとものと自負している。

自分のことを言えば、パリで縁のできた「ジェーシードゥコー」に入社し、広告収入を原資として、税金を使わずに公共輸送施設を充実するという「広告付きのバス停留所上屋の事業」を日本の自治体に提案し、今では、39の都市で採用されている。
その事業がフランスの社会に貢献をしたということを評価されて「国家功労賞」を2007年、サルコジ大統領の下で授賞した。こんな名誉も商工会議所などの公的な業務を通じて、自分の力の範囲内で地道な努力を続けてきたからだと思う。その意味でも、今後とも商工会議所の繁栄を祈り、会頭のご苦労を慰労して拙文を終わりにする。

 

 

歴代会頭一覧


三宅 浩之 中島 格志 鶴岡 正三
河原畑 敏幸 石塚 徹 小田 義明
後藤 豊 片川 喜代治 北原 隆
阿波村 稔 中川 正輝 大山 昇
吉田 哲史 中川 正輝 猪瀬 威雄
左舘 晃 清水 信行 稲森 一彦
白石 義治 北野 健 佐藤 幸彦
萩原 薫 佐藤 洋夫 渡辺 昌俊
山田 史朗 小暮 治 山田 信彦
舟木 凌 江部 敬三郎 広田 弘雄
kaiin260 100
kaiin260 100

amehosu bannar260 100 03

kawaraban260 100

会員用ログイン

サイト内検索