『50周年に寄せて-私の時代の商工会議所とフランス-』

貴商工会議所の創立50周年を心よりお祝い申し上げます。 私は1993年12月仏国三菱商事会社社長としてイタリア・ミラノから12年振りにパリに戻りました。その後1997年6月に帰国するまでの間、貴会議所の会頭(95年度)、副会頭(93、94、96、97各年度)を拝命しました。商工会議所の仕事、特に会頭の業務は多忙ではありましたが、多岐に亘る案件についての会員企業を始め日仏両国の多数の官民関連先幹部との折衝や調整は、両国間の経済関係を俯瞰的に理解する貴重な機会でもあり、またこれを通じて多くの方々の知遇を得ました事は私の財産ともなりました。

12年振りにフランスに戻って見て印象的だったのは、様々な産業・経済のファンダメンタルズの整備と、競争力を備えた産業の増大でした。例えば通信の分野では、以前は繋り難かった電話が全てデジタル化され世界でも最先進国の一つされ、また小型情報端末・ミニテルが広く普及、鉄道、航空、劇場のチケットなどが居ながらにして手配可能となっていました。TGVや高速道路のネットワークは全土をカバーし、電力では原子力発電が7割以上を占め安価で安定的な電力供給を実現、エアバスや重電機の輸出市場も拡大、更にエレクトロニクス、バイオ、ファインケミカルなど先端産業分野でも世界で引けを取らないレベルに達していました。日本ではフランスと言えば「農業、ファッション、芸術・文化、料理とワインの国」とのイメージが定着していましたが、これが大きく変貌したのです。これの反映でしょうが以前は赤字続きであった貿易収支が黒字に転換、また弱い通貨の代表格だったフランス・フランもEUでドイツマルクに次ぐ有力な通貨となっていました。

当時フランス政府は経済力強化策の一環として自国産品の輸出市場拡大と対仏投資誘致を積極的に推進しており、日本もこれに対する協力を強く求められました。在仏日本商工会議所としても斯様な状況に応えるべく注力したのが、対日輸出拡大・対仏投資誘致の活動です。具体的には、「ル・ジャポン・セ ポッシーブル」と名付けられた日仏官民合同キャンペーンに鋭意取り組みました。駐仏日本大使以下大使館ご関係者並びにJETROパリ事務所の方々の全面的なご支援を仰ぎつつ、リーユ、グルノーブル、リモージュ、ランス、オー・ド・セーヌなど各地にミッションを派遣、現地の商工会議所や企業に対して対日輸出促進、投資誘致についてのアドバイスやコンサルテーションを実施しました。また、フランス投資誘致担当大使、フランス商工会議所やパリ商工会議所のトップなどフランス側首脳とのミーティグを重ね、活動の基盤作りに努めました。

今日両国間では自動車や原子力と言った主要産業での産業協力が実現しており、これが他産業にも拡大される事は確実です。また先般のオランド大統領訪日の際の喫緊な合意の一つでもあった第三国での両国協力の動きも今後益々加速化されるでしょう。この様な両国関係の深化・拡大の潮流の中で、貴会議所の果たされる役割はこれまでにも増して重要性を帯びる事と存じます。
創立50年の節目に当たり、貴会議所並びに会員企業の皆様のこれからの益々のご活躍とご発展を心よりお祈り申し上げます。

 
歴代会頭一覧


三宅 浩之 中島 格志 鶴岡 正三
河原畑 敏幸 石塚 徹 小田 義明
後藤 豊 片川 喜代治 北原 隆
阿波村 稔 中川 正輝 大山 昇
吉田 哲史 中川 正輝 猪瀬 威雄
左舘 晃 清水 信行 稲森 一彦
白石 義治 北野 健 佐藤 幸彦
萩原 薫 佐藤 洋夫 渡辺 昌俊
山田 史朗 小暮 治 山田 信彦
舟木 凌 江部 敬三郎 広田 弘雄
kaiin260 100
kaiin260 100

amehosu bannar260 100 03

kawaraban260 100

会員用ログイン

サイト内検索